2024-03-26

2024-03-26が現職の最終出社日でした。3月末日の退職となります。3年3ヶ月の勤続でした。

フィヨルドブートキャンプから右も左もわからないままこの道への確信だけを抱いてきた自分が、自分がRailsプログラマだと胸を張って言えるようになったのはESMの環境あってのことでした。

フィヨルドブートキャンプからの就職先としてESMを志望したのは、Rubyコミュニティとの関わりを大事にしていること、技術力が高い人が多そうで成長できそうだという理由だったと思います。入ってみて、その見立ては合っていたと思います。Rubyコミュニティとの関わりについては、自分がやりたいと思うことをいいね、やってみようと言ってもらえる環境でした。自分が楽しく活動していたらRubyコミュニティに興味を持ってくれる同僚も増えたのではないかと思います。カンファレンス参加についてもかなり自由度が高く、台湾まで行かせてもらえる会社はなかなかないのではと思います。それは私たちが受託開発を生業としており将来の顧客が同じエンジニアの可能性があることや、コミュニティでの存在感を発揮するのもある意味では仕事の一部だからなのだと解釈しています。そういう意味では私がやってみたいこととアジャイル事業部の目指す方向性は合っていました。

技術力が高い人が多そうという期待はいい意味で裏切られました。技術力だけではなく、チームで開発していくことが好きな人、アジャイル開発が好きな人が多かったです。また、仕事以外のプログラミングも好きなメンバーばかりでした。アジャイル事業部技術ブログのトピックの幅の広さが好きです。

最初のプロジェクトでは先輩と組んでPHPからRailsへのリプレイスをしました。何もない場所から何をすべきか決めて進んでいく姿がかっこいいなと思っていました。それからいくつかのプロジェクトを渡り、Railsを中心に開発しつつ、インフラやCIにちょっかいをかけたり、アジャイルな仕事の進め方を学んだり、機能開発の交通整理をしたり、性能試験をしたり、なんやかんやあってふつうのRailsエンジニアになりました。フロントは弱くてインフラにちょっと強く、Railsはぼちぼちです。経験したことがないこともたくさんありますし、ESM基準で一人前とはとても言えませんが、見習いは卒業して自分のことを少し俯瞰して見られるくらいにはなったかなと思います。

いろいろなプロジェクトで仕事をする中で、受託開発であることの情報の流れに限界を感じていました。私たちはどこまでいっても外様で、情報は自分から手に入れにいかないと手に入らないことが多いです。私はたくさんの情報を得て自分の中にそれが動く模型を作るのが好きで、そのためには誰かに聞かなくても手に入れられる場所に情報が存在していてほしいです。誰かを通して得る断片的な情報では満足できなくなってきました。何かを作るときに、その動機から納得して共感して作りたい気持ちが強くなって、そして転職することにしました。新しい環境に入るのは怖い気持ちはありますが、自分がどこまでできるのか、どう感じるのか楽しみな気持ちもあります。1人のWebエンジニアとして、フロント、バックエンド、インフラ、チームなどの分野に関わらずプロダクトのためにできることを精一杯やっていけるようになりたいです。

4月1日からは新しい職場で働きます。不安と楽しみがないまぜになっています。今までありがとう。挑戦を楽しめますように。